イーマサウンドを受けてから、なんというか気が抜けて(?)ほわわわ~とした感じが続いています。
とにかく自然と毎日眠くって、少し前まで不眠で悩んでいたのに、今は22時には目が開かなくなるほど。
夢もたぶん、すっごく見てて、全く憶えていないんだけど、色々な体験をしてる気がするー( ´艸`)
そんな中で、いつもふと思い浮かぶキーワードは『家族』。
この間ブログでもオカンに愛のお手紙を書いたり、アインシュタインの愛のお手紙を発見したり(本物ではない説あり)、まるで毎日愛に包まれて暖かな日々を過ごしているのかと思いきや、実は心の中は真逆の状態でございまして(^^;)
昨日なんて、オネンにひどいLINEを投げて逃げた!笑
と、言うのも、いつものことなのですがお金に関する問題が出てくると、そこばかりに執着して、あーでもないこーでもないと考えこみがちな私。
実は私は、実家を出て一人暮らしをしているのですが、実家の光熱費やローン等々、実家に暮らす姉と折半して支払っているんですね。
それを条件に家を出たわけなんですけど、最近は、なんで私が実家のガスや水道や電気、管理費まで払わなきゃならないの?と思い始めてしまったわけなんです。(自己肯定感が上がった説!)
こっちはカツカツでしんどいのに、姉からは請求書の写真がLINEで遠慮なく連投されてくる。
しかも、姉に頼まれた不用品を、なぜ私が代わりにメルカリで販売してるんだ??
と、モヤモヤイライラ。
姉に「しんどい」「きつい」と送ったら → 「帰っておいで」。
それじゃない感( ꒪Д꒪)ノ
ま、そんな流れで、ひどいLINEを投げ逃げしたという顛末です。
そんな話を、愛しき彼に聞いてもらって慰めてもらい、少しはモヤモヤが晴れたわけなのですが(「介助だから当たり前じゃない?」と冷静なお言葉もいただく)、昨日の今日で、いろんな気付きがドッカーンと出てきたので、それを書きたいと思います。
突然ですが、私、数年前から ”子宮筋腫ちゃん” と共に暮らしておりまして。
ちょうど1年前、手術することを一度は決めたのですが、直前で辞めちゃったんですね。
病院が苦手というのはもちろんあるのだけど、きっと何かあって自分がつくり出したであろう筋腫ちゃんを、ザックリパックリ取って片付けるということに、何とも言えぬ抵抗感を感じてしまい、何を勘違いしたのか「意識で治す!」と心に誓い、この1年過ごしていたわけなんです。
かと言って、何かするわけでもなく、ただ気にしないようにしただけ。笑
そしたら、先日の健康診断でヘモグロビンの数値が、11から7まで下がっていることが発覚(°д°)!
そら、階段上ってぜいぜい苦しいわけだよなぁ。
ずっと生理が終わらないくせに、それでもまだ、病院の壁は高く、市販の貧血薬で済ませているわけなんですが、婦人系の病気について、改めて色々調べてみたんですね。
今までは、心理学で言われている「女性性の否定」という解釈でいたんだけど、どうやら子宮というのは、抑圧した感情や思いを溜め込む場所らしく、解放できない気持ちをポイポイっと子宮にしまっちゃうんだそうです。
で、最終的に「魂のお医者さん」と呼ばれるこちらの方の動画にたどり着きまして、子宮筋腫というのは「怒りの塊」だということがわかりました。
なんで私ばっかりこんな思いをしなきゃいけないの?
いつか気付いてくれると思ってたのに、全然気づいてくれない。
でもこんなこと言えない。
納得。
そう、私ずっとこんな思いを抱えてたんだ・・・
そんな風にすーっと認めることができてしまいました。
今まではね「なんで私ばっかり」なんて、この世で一番恥ずかしい言語だとすら思ってた。
「いつか気付いてくれると思ってた」も、一生口にしたくない言葉だった。
そもそも「怒り」というのは、いちばん私が嫌いで苦手でダセェーと思っているものでした。
だって、怒りってすごい負のエネルギーをまとって、周りを幸せにしない感情じゃない?
怒ってる人は苦手だし、怒りを露わにしている人からは猛ダッシュで逃げたくなっちゃう。(そのくせ、イライラを隠せない私だけどね!特に職場でね!)
師匠の推奨している『お恨み帳』も、私には一生縁がなく、近寄りたくもないと思っていたのです。
だけどね、「なんで私ばっかり」 が不思議とすーっと入ってきた瞬間、子供の頃の私がパァッと出てきたんです。
いつも思い出す一枚の写真。
泣いてる。
でも我慢している。
やり切れない表情を浮かべている私。
「また泣いてる」
「泣けばいいと思ってる」
「嘘つき」
母親に、そんな風に言われて、もう二度と泣かないと決めたあの頃の写真。
それからね、いろんなやり切れない出来事を思い出して、キッチンでほうれん草を茹でながら、ワンワンと泣いてしまいました。
涙の理由は、当時傷付いた出来事に対してではなくて、あの写真にいる小さな私を想って。
ごめんね。
悲しかったよね。
辛かったよね。
置いてけぼりにしてごめんね。
そんな想いばかりで、泣けた。
そして「あ、これブログに書こ」と大人の私が出てきた瞬間、フッと消えて我に返るという。笑
でも、あの瞬間、私はチビとらこと一つになった気がしました。
私のインナーチャイルドは、いつも死んだ木彫りのサルだったけど、それを剝がしていったら、あの泣いてるあの子がいたんだ。それが身に染みて良くわかりました。
”怒りは悲しさの裏返し” と心理学でもよく言われていますが、本当にそうなんだな。
怒りの裏側には、とてつもない悲しみが隠れている。
そしてそれは、迎えに行ってあげないと、いつまでも取り残されて、それが健康を害する原因になったり、目の前の問題をつくり出してしまうんだと思います。
QHHT(量子催眠ヒーリング)の大先輩、ゆきよさんに、こんなことを教えてもらったことがあります。
人には分割魂(ぶんかつこん)がある
もともと全ての存在はひとつで、それが分割して分割して、今の自分の肉体や意識がこの3次元に存在している。
もともとはひとつなのだから、もちろん家族やただの隣人さんも分割魂と言えばそうなのだけど、自分の意識体として考えると、例えば過去性の自分や、別のパラレルワールドにいる自分がそれ(私なりの解釈です)。
で、それぞれの分割魂はそれぞれの分割魂に影響を与える。
自分の問題が解決したら、同時に分割魂の問題も解決することもある。
のだそうです(☝ ՞ਊ ՞)☝
何が言いたいのかというと、今回私が体験したことは、
ある意味、過去性の分割魂(チビとらこ)の想いを理解してあげたことで、41歳のとらこも自動的に癒されてしまったんじゃないかなってこと。
そして、心理カウンセリングで行っている、過去の自分を癒すということは、やっぱり意味のあることなんだなー。怒りを認めてあげるのは、自分を癒すのに必要不可欠であるんだなー。
そんなことを感じました。
怒りの感情って、しんどいですよね。
みじめで苦しいだけでなく、相手を傷つけたり怒らせたり、時には嫌われることに覚悟がいるかもしれない。
チビとらこもね、今ならわかるよ。
あの時は拗ねちゃったんだよね。諦めちゃったんだよね。
それから少し大人になったとらこも、怒りを出すことが怖かったんだよね。
お母さんを傷付けるから。泣かせてしまうから。嫌われるから。
人はみんないい子。
チビとらこも、少し大人になったとらこもいい子いい子。
そして、41歳の今の私も悪い子じゃない。(いい子とはまだ言えないw)
怒りを出すことが怖い人、向き合うのが怖い人へ。
それは決して悪い事じゃぁないんだよ。
もちろん、誰かを傷付けるためにするのは良い事とは言えないけれど、自分の中に生まれてしまった怒りを認めてあげる・・・。それでいい。それがいい。
そうすると見えてくる。
自分を傷付けたあの人の怒りの裏にある悲しみ。
そうせざるをえなかった、あの人の気持ち。
と、言うわけで、ユリンカさんのセッションで出された『理解』の宿題には、やっぱり続きがありました。
私は小さな頃の私を理解することができました。
↑宿題の『理解』のカード。
さてさて、とりあえずは病院に行こうかと思います(´ε`;)
そう言えば、ユリンカさんも「子宮が代わりになってくれてる」言っていたなぁ。
手術して手放すことは悪い事じゃないんだって。
ありがとう子宮ちゃん。ありがとう筋腫ちゃん。
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