量子催眠(QHHT)で空(くう)の世界へ遊びに行こう。

量子催眠(QHHT)カウンセリングのモニターセッション。
おかげさまで募集人数に達しましたので、募集を終了させていただきました。
ご協力いただいた皆様、本当にありがとうございました!

ところで、量子催眠の後半部分では潜在意識(ハイヤーセルフ)と繋がり、様々なメッセージを受け取ります。

モニターさんから発せられるメッセージの中には、この地上にある辞書にはどこにも載ってないような、悟りの世界でしか理解できないような、そんな内容も出てきたりしてとても興味深いです。

先日、あるモニターさんに質問を投げかけたところこんな回答が返ってきました。(プライベートに関わることなので質問の内容はひみつです)

「ない。ということがないわけでなく、ある。」

ついつい「深すぎて理解できないので説明してください」とお願いしちゃった私。
そうすると彼女は「ないこともギフトなのですと教えてくれました。

それがすごーく心に残っていて、ふと繋がったのが色即是空しくそくぜくうという般若心経の一説。

確か坐禅の師・立花大敬さんの動画で一度聴いたことがあって、ブログを書いたこともあったのですが、その時は難しすぎて途中挫折しちゃいました(´ε`;)

色即是空しくそくぜくう


目に見えるもの、形づくられたもの(色)は、実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変なる実体は存在しない(空)。仏教の根本的考えは因果性(縁起)であり、その原因(因果)が失われれば、たちまち現象(色)は消え去る。

Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%89%B2%E5%8D%B3%E6%98%AF%E7%A9%BA

つまり、目に見える物というのは絶対ではなく、その関係性によって変化するものである。
ということのようです。

色即是空については、ネットにたくさんの動画や解説が転がっていて人によって解釈は様々なのですが、ある人は「私という存在は、ある時は人間であり、ある時は女であり、ある時は母であり…というようなこと」と言っているし、ある人は「人間という物体も粉々にしてしまえば素粒子である…というようなこと」などと解釈を述べています。

昨日たまたま購入した雑誌にも色即是空のことが書かれておりまして、それには「すべての事物は形のある実体のように見えるが、それらはすべて他者と関係しあって存在しており、それ自体だけで独立に存在するような実体などない(Newton 2022年3月号)」なんていう風に書かれてありました。

先ほどのモニターさんも、実体はないかもしれないけれど ”ギフト” としてその存在を受け取ったということですよね。それって何て素敵なことなのでしょう*

以前、カウンセリングの師匠に教えてもらった法則を思い出しました。

サイコロの法則ってやつです。

あるひとつの事象に対して、その時はただ一面しか見えてなかったけれど、自分が変わることで他の面も見えてくる。見る人によっても違うしその数だけ見える面は違う。

例えば、自分が親になってようやく親の気持ちが理解できたり、中違いしてしまった相手の本音を知ることで、急に相手のことが愛おしく思えてしまったり。それもサイコロの法則のひとつだと思います。

人間てどうしても正解主義なところがあって、ただ一つの答えに安心を覚えてしまう生き物だけれど、本当は絶対なんてものはなくて、見方によっては答えなんて千差万別。

この世界でも法律とかルールとか、そういった一つの正解に縛られながら生きなくちゃならないけれど、実際のところ法律なんてものは時代が変われば姿も変わるわけで。

だから、正論を振りかざす人というのは、悪い言い方をするとある意味小さな小さな世界の中で生きている、とも言えちゃうわけなんですよね。

量子催眠(QHHT)で行ける世界って、そういう絶対(色)がない世界なんです。
ただ自分で感じるだけ。正解なんてないの。

だから私はハイヤーセルフのおっさんに質問しても「面倒くせぇなぁ。ちっさいこと言ってんじゃねぇよ。」と怒られてしまうわけなんですね。笑

私のQHHTセッションをしてくれたゆきよさんは、私の瞑想の師匠でもあるのですが、瞑想や催眠で遊びに行く世界をくうという風に表現してくれることがあります。

ちなみに『空』というのも般若心経に出てくる思想で、Newtonを引用すると「それ自体で独立した不変の実体など存在せず、すべての事物は他者との関係(因果)によってのみ存在する」という意味であり、決して『無』ではないんですね。

そう、だから催眠(潜在意識)の世界というのは目に見えないけれど、無いわけじゃなくて在る。

そして、その人の意識との関係性が生まれた瞬間に、何かが生まれるんです。
それがその人にとっての『答え』になるのかもしれません(·ε·♡)

ちなみに『色即是空しきそくぜくう』の続きに空即是色くうそくぜしきなるものがあります。


この世のすべての物事は実体がなく空くうであり、その空であるものがこの世のすべてであるということ。

goo辞書
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%A9%BA%E5%8D%B3%E6%98%AF%E8%89%B2/

ううむ、深いなぁ仏教。

ないけどある、それがこの世の全て♡

すべての事物に普遍的で絶対はなく、すべての事物はうつろなもの。
ってことですね。

宗教も信じる人がいるからこそ存在する。
法律も守る人がいるから成り立ってる。
お金だって価値を感じる人がいるから価値がある。

でも、信じる人、守る人、価値を感じる人がなければ、存在しないもの。

おもしろいですね(゚∀゚ )

ちなみに、仏教と量子論て共通するものが多く、「般若心経」や日本最古の歴史書である「古事記」って実は量子力学の話でもあるというのは有名なお話。(もちろん解説はできませんので気になる人は調べてみよう!笑)

確かに『色即是空・空即是色』が他者との関係性から成り立つというのと、量子(素粒子)は観測(意識)された時に粒として姿を現すというのは、同じ現象のようですよね。

いずれにしても、誰だってくうの世界から何かを生み出すことはできる。もちろん、それはうつろなモノなので、自分が変わればその姿も変わってしまうけれど、自分次第でかたちは変えられるってこと。

自分がどのサイコロの面を選ぶか。
いくつのサイコロの面を見られるか。

それも自分次第。

そして、絶対のない事物に囚われて生きるか、くうの世界でうつろいながら自由に生きるか。

それも自分次第なのですね。

『色即是空・空即是色』の解説は、修業中のお坊さんでも難しいと言っています。
っていうか、概念の説明を言葉にするのって超無理難題なことですよねー。

正直私自身、どこまで理解できているのかわからないまま思いつくままに書いております(^^;)

それに「絶対はない」みたいなことを連発しておりますが、それはやはり、この物質世界、地上世界、3次元的世界(?)のお話でして、量子催眠(QHHT)をしていると絶対的なアレを感じることが多いです。

絶対的なアレ。

そう、 でございます。

なんなんですかね、この愛とやらは。
強く強く絶対的安心感として伝わってくる「愛」という事物。

私もQHHTで体感しましたし、これまでに数々のモニターさんもそれを受け取って帰ってくださいました。

愛はくうに在るのか?

くうの上には、まだまだ別世界が拡がっているのか?

詳しい人、教えてください(⑉°з°)-♡

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