小林正観さんの「神様を味方にする法則」

少し前『くう』の思想にハマっていた私ですが、それ以来なーんとなく実感として感じられるようになってきた気がする今日この頃。

世間は2月4日から始まった『全惑星順行期間』でお祭り騒ぎなのに(?)、何も始めてないしヤバい終わっちゃう!なんて焦り始めていたミーハーとらこでしたが、よくよく思えばこの期間、私は「空」の世界で泳いでいたような気がします。

とにかく尋常じゃないくらい眠くて眠くて、夢見がすごくて、あっちとこっちの世界がわけわからず、日にちも時間もひっちゃかめっちゃか (๏д๏)

同時に何故か時計も狂いまくって、夜中に突然カチカチカチカチーッ!と秒針が早送りされたりして超怖い (;▽;) 怪しさ全開でお話すると、立て続けに幽体離脱しそうな体験をしまして、なんだか不思議なこの1,2か月でございました。

それ「空」と関係あんの?
知らない。

でも不思議なことに、ふと我に返ると色んなことが どうでもよくなってしまった 感じがします。
かと言って、それは全然嫌な感じではなくて、むしろ軽くなったというか、そんな感じ。

これまで散々、オカンのことお金のこと仕事のことなど、自分の悩みや問題をブログに書いてきたけれど、突然ふっと「ま、いっか」って感じになっちゃったんですよね~不思議。

自分自分自分!
と自己をたっくさん見つめてきて、乗り越えるだとか目標とか掲げてきた(つもり)だけど、なんとなく今は『個』から抜け出したいような気分なのです。

同時に、今まで目に入ってくるものも変わってきて ”ワンネス” ちっくな言葉を目にする機会が多くなってきた気がします。

「おや?ステージ変わったんじゃね?」と堂々と自分で思っちゃうわけなんですけどw、心理学的視点から見ても、これって自分が満たされてきた証拠だよね?と思わずにはいられないthursday night.

このブログを開設してちょうどもうすぐ1年。
以前こんな図をご紹介したのですが、なんとなくこの1年を振り返ってみると、あるステージのワンサイクルを終えたのかな?という気がしています。

初めてカウンセリングの門を叩いた時までの私は、そらもう自分から逃げていました。
ネガティブな感情は感じたくない。嫌なことは考えたくない。私はポジティブ!大丈夫!
そんな風にして臭いものに蓋をしまくっていたんですね。

でもやっぱり自分に真っ向から向き合うことって大切なんだなとわかりました。

自分の良いところも悪いところも、ちゃんと見てあげて認めてあげて大事にしてあげる。
弱い部分を隠して、自分はポジティブだと言い聞かせて前を向くことはできない。

蓋を開けて全部丸ごと受け入れると、自分も世界も良い・悪いがないことがわかる。

自分が愛おしくなる。
人も愛おしくなる。
世界も愛おしくなる。

また新しいステージで「自我の目覚め」からスタートしていきたい今日この頃です (´∇`)

ところで小林正観さんってご存じですか?
今はもう亡くなられているのですが、潜在能力研究家として活動されていた方のようです。

株式会社SKP 会社概要 小林正観さんプロフィール

youtubeのおススメに彼の講演会の動画が上がってきたので見てみたのですが、ところどころスベッてるんだけど、とっても素敵なお話があって思わず涙が出てしまいました (;_;)


今お茶っていうのがありますよね。お茶を飲む。
お茶っ葉は自分で作りましたか?
茶碗が存在しないと指をここにお茶を入れてなければ飲めないわけでしょ。注ぐったって急須がなければ注げないわけでしょ。
急須も誰かが作ってくれたものであり、茶碗も誰かが作ってくれたものであり、お茶っ葉も自分ではなくて誰かが作ってくれたものである。何よりも何よりもそのお茶を入れてくれている水なりお湯なりが、私たち作ってないじゃないですか。
人間の体が70%水であるということを全然知らない時代に日本語には「水も滴るような」という言葉がありました。その70%を構成してくださっている大事な水さえも私たち作ってませんよ。空からただで降ってきますね。どっかに私の努力というのはありますか?
自分で水をこさえました?自分でお茶っ葉作りました?自分で急須作りました?自分で茶椀作りました?何よりも生きていること自体が酸素が必要ですよ。その酸素って自分がつくりましたか?
結論でいうと自分の意志によって手に入れたもの皆無ですよ。
大根を栽培していますか?タネをまいて収穫をしたのは人間かもしれないけれども大根育てたのは大地。でそういうことがわかったら、私ひとりの人間が世の中で偉い存在であるとか偉くない存在であるとか立派な人であるとか立派な人じゃないとか、少しはではなくて全く言うことができません。
ありとあらゆる人が人が全部自分の持ち味で世の中に参加している。
人は一人で生きていると人。人と人の間で生きていて人間と言います。そして人は人間であることの喜びに目覚めない限り永久に人間になることはないんです人のまま終わっていく。
人によっては美しい歌声で人を癒やすという役割を持っている人がいいますね。人によっては絵を描いてその絵が好きっていう風に喜んでもらえる人もいますよね。人によっては野球のプレーをやっていることでそのプレーがカッコイイとか爽やかであるとかっていうので人を喜ばせる人もいますよね・・・

世界はじぶんがつくってる

というキャッチフレーズを掲げている私ですが、それはもう時代遅れなのかもしれません。

「この世は仮想現実」「シナリオゲーム」などとも言われているし、私もそうだなぁと感じていますが、例えそうだとしてもこっちの世界には肉体があり、個と個が触れ合って関わり合って初めて「自分が在る」と気付けるもの。

それぞれにはちゃんと役割があって、決して不必要なものなんてない。

そして、その個を生かしてくれている育ててくれているのは、自分じゃなくてそれ以外の人たち。

そして、その先には物質があり、自然があり、酸素や太陽があり、目に見えないエネルギーたちが一生懸命支えてくれている。

もうそれだけで愛されてるってことですよね。

何も変わらない退屈な日々を過ごしていたとしても、私たちは毎分毎秒一瞬、愛を注がれているのだなぁと、そんな風に深く深く感じました。

そしてそれは自分だけでなく、家族にも友人にも恋人にも見知らぬ人たちにも。
例え自分の知らないところであっても、私たちは平等に同じように愛をいただいている。

平等に執着してしまいがちな私だけれど、この世界はもう既に平等だし、やっぱり愛しかないんだなぁと、そんなことを感じたthursday night.でした ( ´艸`)

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