可愛い子には旅をさせよはリスペクトの証

以前の私は、困っていたり悩んでいたりする人がいたら、声をかけたり助けてあげたり、それが優しさだと思ってた。

時には自分を犠牲にすることも必要だと思っていたし、そういう人間になりたいと思ったこともある。

だけど「自分がリスペクトしている人が悩んでいたら、声をかけるだろうか?」そんな風に考えたら、答えは「No」で。

例えば、私の大好きな役所広司さんが、自分の演技に思い悩んでいるとして、まさか私が「大丈夫ですか?」なんて声をかけるなんてこと絶対にありえないし、おこがましいにも程がある。(当たり前だろ)

リスペクトしているからこそ、「この人は私の助けなんて必要なわけないし、絶対大丈夫」そう自然に思えるわけで。

逆に、自分が自分と戦っているときに、頼んでもいないのに声をかけられるのって、すごく嫌だ。
それに、自分の為に声をかけてくれていると思うと罪悪感まで感じてしまうし、二重苦だ。

世の中は、かまってほしい依存タイプと、放っておいてほしい自立タイプに分かれるんだと思う。大きく分けるとね。

だから私は、どっちかっていうと自立タイプなんだと思う。

この世での人の成長プロセスは「依存」→「自立」 → 「相互依存」だと言われてる。

相互依存というのは、土台にしっかり「自立」がある上で、ちゃんと人に頼れる・甘えられる状態であること。
依存し過ぎず、自立し過ぎず、相手とちゃんと線引きができた状態で、必要な時に助け合える。

相互依存の領域にいきたいのであれば、依存し過ぎる人は自立を目指さなきゃいけないし、自立し過ぎている人は、すべて自分で引き受け過ぎないように力を抜くことが大事。

誰かからの依存も引き受け過ぎないようにする。
自分が何とかしなくちゃ、自分が助けなくちゃ、その想いは捨てる。

時には心を鬼にして可愛い子には旅をさせる。

相手をリスペクトする。
「この人は大丈夫、私の助けがなくても立ち上がれる」そう信じる。

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