世界は言葉でできている
って聴いたことある気がして調べてみたのだけど、昔フジテレビで放送していた番組のタイトルしか出てこなかった。
少し前に、あたまがうるさくて泣いたことがあった。
あたまの中がことばことばことばで埋め尽くされて「うるさーい!」と泣いた。
はじめに言葉があった。
言葉は神と共にあり言葉は神であった。
新約聖書「ヨハネによる福音書」の冒頭の一節らしい。
新約聖書は言葉が生まれたあとにつくられたものだ。
言葉が生まれる前の世界はどうだったのだろう。
禁断の果実はもしかしたら言葉だったのかもしれない。
言葉って何だろう。
言葉によって分離が生まれる。
言葉によって思い込まされる。
でも言葉によって救われるときもある。
人が本当にほしいのは、たったひと言だったりする。
でも、そのひと言が伝わらないときもある。
そのひと言を受け取れないときもある。
言葉を読むのは頭か心か。
言葉を発するのは頭か心か。
言葉は情報か。
言葉は感情か。
ある人が言いました。
「物知りになるのではなく、心の図書館を豊かにするのだ」
そうかぁ。わたしは物知りになりたかったんだなぁ。そう思いました。
だけどほんとうのわたしは、物知りになんてならなくてよかったのです。
説明よりも情報よりも、言葉にし得ない何かを感じること。
それは五感ではなく、脳波でもはかれないもの。
言葉にした瞬間に失うもの。
それだけで充分に生きている。
苦しみも悲しみも苦悩も絶望も、それでいい。
そんな気がしました。
おやすみなさい。