無理をしすぎると決まって左半身に支障がでてくる。
去年の夏頃から仕事が忙しくなって、家のことなんかもいろいろ不安や不安がたまっていって、そしたら案の定、徐々に左側が痛くなり首から肩、腰、膝が固まっていうことをきかなくなった。
こういった症状が出てくると、なぜかいつも父のことを思い出す。
数年前に催眠療法を受けたとき、左側は砂漠が見えた。カラッカラに乾いた砂漠。
そのときに気付いたのは「父を亡くしてからわたしは半分を失ったんだ」ってこと。
だから、左半身の異状には父への想いが隠れている。
2024年のクリスマスイブの前日、もう12年も預かっていただいた父の遺骨を引き取って、粉骨業者に頼んでサラサラのシュガーパウダーみたいにしてもらった。
小さいくせにがっしりしていた父だから骨壺はとても重たかった。だけど1時間後にはA4サイズのジップロックみたいな袋にきれいに納められた。ふしぎな気分だった。
自転車のかごに乗せて帰り道を走りながら「これは父なんだろうか」とぼんやりと考えていた。
*
年が明けて、左半身の痛みはおさまることなく仕事も相変わらず立て込んでいて、さらさらになった父の遺骨も棚に置いたままだった。上質な桐箱に入れて大切に保管しようと思っていたのに、私というやつは本当にこういうやつなのだ。
普段テレビはほとんど見ない。
だけどある夜に母がつけていた音楽番組を何気なく一緒に見ていた。
韓国と日本のシンガーが歌唱力を競い合うような企画だった。
審査員席には公平に韓国と日本の芸能人が座っていて、ひと昔では考えられない日韓共演の番組に「世の中も変わってきたなぁ」と静かに感動していた。
デュエットのかたちで日韓2人の歌手が歌い始めた。韓国のヒット曲らしい歌を日本語訳で歌っていた。2人共母国を代表してステージに立っているだけあって、確かに美しく心に響く歌声だった。彼女たちの歌を聴いているうちに、なんだかいたたまれない気持ちになって自分の部屋に戻った。
その瞬間は自分に何が起きたのかわからなくて、改めてその動画を探して携帯で聴き直した。
涙が止まらなくなった。
「お願い いかないで 私の愛おしいひと」
その歌詞がわたしを12年前のあの病室に連れて行った。
12年前、急いで向かった埼玉県の遠いあの病院。あの病室。
母と姉と先生と、あと少しで心臓が止まってしまう父。心電図の音。
まるでドラマのようなあの光景を外側から見ている。
お願い いかないで。
ほんとうはそう叫びたかった。
*
父の心音が消えてから、いや消える前から、私は次にやることを考えていた。
冷静になろう冷静になろう。
もう何もできることはない。受け入れよう。父はもう戻らないんだ。
くらくらした頭を正常にさせるために必死だった。だからあの日のことは今でもはっきりと憶えている。
だけどほんとうは、自分を見失ってしまうくらい記憶を失ってしまうくらい言いたかったんだと思う。
お願い いかないで。
お願いだからいってしまわないで。
ようやく12年間置き去りにしたわたしに出会えた気がした。
*
お願い いかないで 私の愛おしいひと
どんなに離れていても わたしを忘れないで
「잊지말아요(忘れないで)」백지영(ペク・ジヨン)
ドラマの主題歌として大ヒットとなったこの曲は、恋人との別れの歌らしい。
あれから何度もこの歌を聴いた。何度も何度も。
聴くたびにあの時を思い出して涙が溢れた。でももうそれを抑えることはやめた。
そうしなければいけないと思った。
それから1か月も経たないうちに、私の左半身の痛みや違和感は消えた。正直言うと、整体院の知人と立ち話の延長で受けた不思議な施術がテキメンに効いたのだった。そのひとは、何も言わないのに次々と私の心情を体から読み取り、そのせいで詰まっていた滞りをあっという間に解放してくれた。なんなら、そのもっと以前から別の知人に遠隔治療をしてもらっているのも事実だ。
私の左半身と父に本当に因果関係があるのかどうかはわからない。
だけれど、あの日あの時わたしが鍵をかけてしまった言葉は確かなことなんだと思う。
*
すっとこのことを書きたかったのだけれど、なんとなく書く意欲がわかなかった。
でも、ふとしたきっかけでパソコンを開いてキーボードを打っている。
今日は節分だったな。
『季節の変わり目に起こりがちな病気や災害を鬼に見立て、追い払う儀式』
AIが教えてくれた。追い払うとは穏やかではないけれど、心は穏やかだ。