時代は変わっても記憶は変わらない。語るのはおこがましい。映画「家に帰ろう」

2017年にスペイン・アルゼンチン合作のロードムービーです。

あらすじ(日本公式サイトより)
ブエノスアイレスに住む88歳の仕立屋アブラハムは、自分を施設に入れようとしている家族から逃れ、スペイン・フランスを経てポーランドへと向かうための旅に出る。その目的は、第2次大戦中のホロコーストから逃れ、自分の命を救ってくれた親友に自分が仕立てた「最後のスーツ」を渡すこと。

スペインでのタイトルは「El último traje(最後のスーツ)」

”ホロコースト”とは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツが行ったユダヤ人の迫害のことです。

悲劇の中、家族を失いながらも、なんとか生き延びたという経験をもつ主人公のおじいちゃんが、色々な人たちの力を借りて、70年間音信不通だった命の恩人に会いに行くというお話。

アマプラで高評価だったので何の気無しに見ていたのですが、まさかホロコーストが関係しているお話だったとは・・・。

実は、中学3年生の夏休みの宿題が、アウシュビッツ強制収容所の研究レポートだったので、私の記憶にはそれが強く残っています。

中学3年生には、かなりショッキングで信じがたい歴史でした。
こんなことが、同じ地球上で起こっていたのかと、本当に信じられなかったなぁ。

当時、私は研究レポートにこんなタイトルを付けていました。

『人が心を失う時』

内容は、写真のコピーを貼ってテキトーな感想付けただけですが、タイトルはなかなか渋いじゃない。と自画自賛。

当時の私は、迫害をする側・される側、どちらに向けて言っていたのかな。

***

ところで、ユダヤ人と日本人には不思議な関係があると言われているのはご存じでしょうか?

”日ユ同祖論”と言われているアレで、日本人(大和民族)とユダヤ人(古代イスラエル人)の祖先は同じ民族だったという説。
他にも、約2,000年前に国が滅ぼされたユダヤ人達が世界に散り散りに逃げ、その一つに日本があったという説もあるようですね。

時と場所によって、陰謀論扱いにされているお話なのですが、私も昨年、陰謀論について調べまくっている時に、この説にたどり着きました(`‐ェ‐´)

当時は、陰謀論のひとつのお話としてしか見ていなかったのですが、”日ユ同祖論”の信憑性を示す証拠として紹介されていた、日本語とヘブライ語(ユダヤ人の言語)が似ている説は驚きました( ꒪Д꒪)

有名なところで言うと、日本の国歌『君が代』。

君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで

が一番の歌詞ですが、無理矢理ヘブライ語にしてみると、こうなるのだそう。

クム・ガ・ヨワ チヨニ ヤ・チヨニ ササレー・イシィノ イワオト・ナリタ コルカノ・ムーシュマッテ

うーん。わからんʕ•͡ω•ʔ
むーしゅまって??

でもね、これがヘブライ語として解釈しても、ちゃんと歌詞になるそうなんですよ。
検索して最も出てくる翻訳がこちら↓

神を讃えよ 選ばれしシオンの民よ 喜べ残された民よ 救われよ 神の預言は成就した 全地に語れ

ʕ•͡ω•ʔ

まぁ、とらこの頭の中では ʕ•͡ω•ʔ ←こうなるよね。

他にも、日本語とヘブライ語の共通点を探すと、本当たっくさん出てくるので、これはただの都市伝説ではないなぁと感じてしまいますよね(゚ロ゚)

特に、伝説になってしまっているけれど、日本の初代天皇(神武天皇)の本名は、神日本磐余彦天皇(かむやまといわれひこのすめらみこと)と言うそうですが、これもヘブライ語に訳すとこうなるんですってよ~

カム → 創設
ヤマト → 神の民
イワレ → ヘブライ人
ヒコ → 最初、高尚、高貴
スメラ → 北イスラエル王国
ミコト → 王、大王

学校の勉強はある意味、洗脳のひとつだと思っている私ですが、歴史も結構ガチな洗脳だったりして。。

映画の話に戻りますが、そのホロコーストから命からがらに逃げてきた主人公のおじいちゃんは、遠く離れた友人に会うため電車に乗るのですが、どうしてもドイツで乗り換えなきゃいけない。

でも、絶対ドイツに足を付けたくないのです。

そらそうですよね(._.)

でも、電車で知り合ったある女性が、嫌だ嫌だと喚き散らしているおじいちゃんの為に、自分の衣服をホームに広げて道を作ってあげるのです。そして、その上を歩いてなんとか足を付けることなく、ドイツのホームに降り立つことのできた、おじいちゃん。

そんな風にして、様々な場面で見ず知らずの優しい人の力を借りながら、88歳のおじいちゃんは、恩人であり最愛の友人と70年越しの再会を果たすのでした。

今の世のほとんどの人が戦争を知らない子供たち。
何万人何百万人と戦争によって失われた命たち。

このお話は、そんな命を知る世代と知らない世代のひとたちの、交わりを描いた作品でもあるのかなと、感じました。

当時のことは、写真は映像や誰かの記憶の話でしか知ることができないけれど、だけど実際に起こった事実なんですよね。

しかも、今よりまだ少し前のことです。

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