喉の渇きを癒すのが水であるように心の渇きを癒せるのは言葉である。
若松英輔さんのことばです。
私はそれこそ空腹を満たすかのように、たくさんの言葉を食べていました。
あれやこれやと目に入ったものに手を出して、もぐもぐぱくぱく。
あーお腹いっぱい。これで明日からまた生き延びられる。
でもなんだろう。なんだか満たされていない。
そして翌日にまた、もぐもぐぱくぱく。
く…くるしい。もう食べたくない。見たくもない。
でも手が出ちゃう。
そんな時です。出会ったのは。
「喉の渇きを癒すのが水であるように心の渇きを癒せるのは言葉である。」
「心で読むことを心読(しんどく)と言います。」
内藤礼さんという美術家さんの詩集を読みました。
まっしろな本です。
正直むずかしいと思いました。
だけど、夢中で読んだのです。
読み終えた後、私は私の”心地”がとてもよかった。
雨上がりの東武ストアの広場がとても清々しくて美しく感じました。
翌日私は、内藤さんの展覧会に足を運びました。
ここでも、むずかしいと思いました。
さっぱりわからないとも思いました。
でも、足を止めて、見てみよう。考えてみよう。感じてみよう。そう思いました。
ふたつの風船を覗くと、ひとの影がまっすぐと逆さまと、重なり合って映っていた。
ひとつの中にふたつがあって、ふたつの風船は同じようで違う。
死者のためのまくらは、ふんわりとして優しかった。
私は知りました。芸術は考えていいんだと。
自分でこたえを持っていいのです。
同じ美術館で「はにわ」を見ました。
はにわと向かいあった私は「これは私だ」と感じました。
私ははにわで、筒で、空洞なんだ。
それはきっとことばも同じ。人生も世界も同じ。そう思いました。
はにわで、筒で、空洞なのだから、内側はすべて空とつながっている。
世界と、すべてと、つながっている。
言葉は知識の入れ物ではなく、魂の入れ物です。
これも確か若松さんのことばです。
心で読む。心で聴く。心で考える。心で感じる。
知識ではなく、心で、魂で、私を満たす。
心は、魂は、きっと∞なんだと思う。
つながっているのだから。