神さまって誰じゃ?と考えさせられる映画「ホテル・ムンバイ」

2018年制作のオーストラリア・インド・アメリカ合衆国のスリラー映画です。

あらすじ(日本公式サイトより)
インドの巨大都市ムンバイに、臨月の妻と幼い娘と暮らす青年アルジュン(デヴ・パテル)は、街の象徴でもある五つ星ホテルの従業員であることに誇りを感じていた。この日も、いつも通りのホテルの光景だったが、武装したテロリスト集団がホテルを占拠し、“楽園”は一瞬にして崩壊する。500人以上の宿泊客と従業員を、無慈悲な銃弾が襲う中、テロ殲滅部隊が到着するまでに数日かかるという絶望的な報せが届く。アルジュンら従業員は、「ここが私の家です」とホテルに残り、宿泊客を救う道を選ぶ。一方、赤ん坊を部屋に取り残されたアメリカ人建築家デヴィッド(アーミー・ハマー)は、ある命がけの決断をするのだが──。

2008年に起きたムンバイ同時多発テロのお話。

市内の十数か所起きたこの事件。皆さん記憶にありますか?
私は正直、うっすらとしか憶えていないんですけど、実行犯が若者の集団だったってことは妙に記憶に残っています。

この映画は、タイトル通りホテルムンバイでの同時多発テロを舞台にしていて、お客様を守るために戦うホテルマンたちに焦点を当てて描かれているのですが、監督の目的なんて忘れてしまうくらい、とにかく観ていて胸が苦しくなる映画でした。

とんでもなくハラハラする描写はスリラー映画としては成功しているんだけども、思入れのある登場人物たちが次々と無慈悲に殺されていくシーンが本当にやりきれなくてね。

その無慈悲さ加減が泣けて泣けて、お風呂で嗚咽が止まりませんでした。

あんまり書けないですけど、結局は思想や宗教における問題がこの事件を起こしたわけで。

実行犯となった彼らの目的は、本当のところは本人にしかわからないけれど、でもやっぱり「自分の中の正義」によって起こしたのだと思うし、その先には、自分や他の誰かの「幸せ」があると信じていたからだと思うんですよね。(全員サイコパスだったというならば、もう何も言えねぇ)

犯人も、被害者の人たちも、その家族も、それを見守っていた世界中のみんなも、ただただ日々幸せを感じたいだけなのに、どうしてこんな大きなボタンの掛け違いが起きてしまうんだろうと、ただただ切ないなーと感じてしまうんです。

そりゃ、幸せの価値観て人それぞれだと思うけど、でも、大体みんな同じとこに行き着くと思うんですよね。だけど、信じるものが違うだけで、こんなにも見る世界は変わってしまうんだなぁ(;_;)

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信じるといえば、やっぱり宗教のお話になっちまうんですけど、ちょっとセンシティブなので書きづらいところではありますが、宗教といえば神さま。

お国によって違うかもしれませんが、キリスト教とかイスラム教とか、いわゆる一神教が多いですよね。

その宗派の人たちは、他の選択肢がない分、信じやすいというか、信じるパワーも強いと思います。

プレイボーイな彼より、一途な彼の方が尽くしてくれるのと一緒で。(にしたらマズいか。)

日本も一応 ”仏教” という一神教が定着していると思いますが、とは言いつつ、クリスマスは大好きだし、ハロウィンも祝うし、葬儀を執り行う際に「宗派は?」と聞かれて「え?」と答える人もかなり大多数でいると思うんです。(私もそうだった)

大晦日では、しっかりと神様に1年の健康と幸運をお願いをするんだけど、一体誰にお願いしているのか、自分でわかっているのかいないのか。(私もそうです)

真面目な割に、信仰心は不真面目なにっぽん。

宗教よりもメディアを信じるにっぽん。

平和ボケとか、3S政策で腑抜けにされたとか、そんなことも言われていますが、コレ!っていう神さまがいないおかげで、自分自身で幸せを見つけられるのは、私にとっては結構都合が良い気がします。

だから、この時代にこの日本を選んで生まれてきたのかな?

なんか最後はちょっと私の偏見も入ってしまいましたが、「ホテル・ムンバイ」は色々考えさせられる映画でした(´-`)

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